「なんでこの仕事、続けてるんだろう」って、ふと思う瞬間、ありませんか?
夜勤明けでヘトヘトなのに、次のシフトのことが頭をよぎる。記録に追われて、利用者さんとゆっくり話す時間が取れない。人手不足で、ひとりひとりに丁寧に向き合いたいのに、どうしても流れ作業になってしまう……。
10年間、特養の現場で働いてきた私・室岡も、何度となくそんな気持ちになりました。
室岡そんなとき、ふと読んだのが今回紹介するニュース。龍谷大学の福祉教育の歴史を掘り下げた記事なんですが、これが現場の介護士にとっても、じわっと刺さる内容だったんです。
「制度がどう変わった」とか「加算が増えた・減った」といった実務的な話ではありません。でも、私たちがなぜこの仕事をしているのか、その根っこを見つめ直す、そんな記事です。ぜひ最後まで読んでみてください。
- 龍谷大学の福祉教育の歴史と「摂取不捨」の精神
- 「誰ひとり見捨てない」が今の介護制度につながった道のり
- 社会病理学と介護現場の意外なつながり
- 歴史を知ると介護の仕事の見え方が変わる理由
そもそも、この記事はどんな内容?


龍谷大学(京都市)といえば、浄土真宗の教えを建学の精神に持つ大学として知られています。1945年(昭和20年)の終戦後、1949年に新制大学として文学部を開設し、1962年に短期大学部に社会福祉科を設けました。これが、龍谷大学における本格的な「福祉教育」のスタートです。
ここで大事になってくるのが、「摂取不捨(せっしゅふしゃ)」という考え方です。
摂取不捨とは、阿弥陀仏(あみだぶつ)の誓いである「すべての生きとし生けるものを決して見捨てない」という教えのことです。難しく聞こえますが、要するに「どんな人も切り捨てない、見捨てない」という意味です。
この精神が、龍谷大学の社会福祉学の根っこにあります。



そして、そこから育った研究者・教育者たちが、日本の福祉の歴史を作ってきたのです。
「見捨てない」が制度になるまでの、長くて険しい道のり


記事の中で特に印象的だったのは、杉本一義(すぎもとかずよし)さんという先生のエピソードです。
1962年、龍谷大学の短期大学部に社会福祉科が開設されたとき、専任教員は杉本先生ただひとりでした。しかも初年度の入学定員は40人なのに、受験者はわずか「二十数人」。定員割れです。
「なんの資格も取れないから受験者が集まらない」と判断した杉本先生は、保育士資格(当時は保母資格)の取得ができるよう国に認可を求めます。そのために東京まで出張し、厚生省(現:厚生労働省)に4回、文部省(現:文部科学省)に2回足を運びました。
厚生省4階のエレベーター前で専門官を待ち続け、姿を見つけた瞬間に駆け寄って「1階まで降りるエレベーターの時間だけ話を聞いてください」と懇願したのです。たった数十秒の中で、保育士の人材養成の必要性を伝えた。
その後、大学に戻ってみると、なんと「社会福祉科の入試中止」が決まっていたといいます。それでもあきらめず、深夜に短大部長の自宅を予告なしで訪ね、評議会での審議を経て、なんと2票差で継続が可決されました。
その結果どうなったか。
1965年度から保育士資格の取得が認められると、受験者は急増。定員40人に対して、800人を超えることもあったといいます。わずか数年で、20倍以上の競争率になったわけです。



この話、なんか胸に刺さりませんか?
「誰かのために、諦めないで動く」。それが積み重なって、今の福祉の仕組みができている。
現場の介護士への影響——歴史が現在の「制度」につながっている


「でも、龍谷大学の話って、自分には関係ないんじゃ?」と思うかもしれません。
実は、そんなことはないんです。
つまり、私たちが今持っている「介護福祉士(かいごふくしし)」という国家資格、そしてその教育の仕組みは、こうした大学の研究者・教育者たちの長年の積み上げがあってこそ生まれたものです。
「介護福祉士及び社会福祉士法」の公布から今年2026年でちょうど39年。その間に介護保険制度が2000年にスタートし、施設・在宅・地域包括など介護の仕組みは何度も改定されてきました。
でも、その根っこにある「誰ひとり見捨てない」という精神は、1962年に社会福祉科が生まれた当時から変わっていない。



そう思うと、なんだか自分たちの仕事が、すごく長い歴史の続きにある気がしませんか?
「社会病理学」と介護の接点
記事には、こんな数字も出てきます。
1948年から1988年度までの40年間で、龍谷大学の短大の卒業論文は合計1652本。そのうち153本が「社会病理学(しゃかいびょうりがく)」をテーマにしていました。
153本という数字は、社会学の論文666本に次いで2番目に多い。これは偶然ではなく、「社会の病変(病的な変化)は、福祉課題に直結する」という考え方が大学全体に根づいていたからです。



介護現場でも、同じことが言えます。利用者さんの「困りごと」は、身体の問題だけじゃない。孤独、貧困、家族関係のもつれ、認知症による本人の苦しみ……それらは全部、「社会の問題」でもあります。
私たち介護士が、利用者さんの話をじっくり聞いたり、家族に連絡を入れたり、ケアマネさんと連携したりするのも、広い意味でこの「社会病理」に向き合う行為だと私は思っています。
よくある疑問・気になるポイント


Q. 龍谷大学ってどこにあるの?介護士と関係ある?
「関西の大学だから自分には関係ない」と思うかもしれませんが、ここで育った研究者たちが、日本の社会福祉の理論や制度の形成に大きく関わってきました。私たちが日々使っている介護の「考え方のベース」に影響を与えている大学のひとつです。
Q.「摂取不捨」って宗教的すぎる?介護と宗教は関係あるの?
でも、この「摂取不捨(誰ひとり見捨てない)」という考え方は、宗教を超えた普遍的な価値観だと思っています。介護の現場でも「この人は認知症が重いから」「家族がいないから」「お金がないから」という理由でケアの質を下げていいことは絶対ありません。
それは宗教的な信仰ではなく、人間としての倫理(りんり:何が正しい行いかという考え方)として当然のことです。仏教的な表現ではありますが、その中身は私たちが毎日大切にしていることと、まったく同じです。
Q. 矯正・保護課程って何?介護と関係ある?
矯正・保護とは、刑務所から出てきた人や少年院を出た若者などが、社会に戻るための支援を行う分野です。
「介護と全然違う話じゃないか」と思うかもしれませんが、実はつながっています。高齢者の刑務所への「再入所(さいにゅうしょ)」が問題になっているのをご存じですか? 帰る場所がない、福祉サービスにつながれない高齢者が、生活のために軽微な犯罪を繰り返してしまうケースが増えているんです。
「誰ひとり取り残さない」という精神は、刑務所を出た高齢者にも向けられています。



これは今後の介護現場でも、無縁ではない課題です。
10年目の介護士・室岡が思うこと


正直に言います。
10年間現場にいると、「もうこの人には無理だ」と感じてしまう瞬間が、ゼロとは言えません。夜中に何度も起きる方、暴言が出てしまう方、家族との関係が複雑な方……。そのたびに、「それでもこの人の味方でいる」と自分に言い聞かせてきました。
でも今回の記事を読んで、改めて思ったんです。
1962年、保育士資格の認可を取るためにエレベーターの中で必死に訴えた杉本先生も。1940年代から社会病理学を研究してきた学生たちも。みんな「誰かを見捨てたくない」という気持ちから動いていた。
その積み重ねが、今の介護保険制度を作り、介護福祉士という資格を生み、私たちの仕事の場所を作ってくれたんだ、と。



私たちは、長い長い「誰ひとり見捨てない」という歴史の、今日の担い手です。
それって、すごいことじゃないですか。
まとめ


今回のニュースのポイントを整理しておきます。
- 龍谷大学は1962年に短大の社会福祉科を開設。初年度は定員40人に対して受験者は二十数人の定員割れだった。
- 杉本一義先生が厚生省・文部省に合計6回足を運び、保育士資格の取得を可能にした。その後、受験者は800人超になった。
- 龍谷大学の福祉教育の根本にあるのは「摂取不捨(誰ひとり見捨てない)」という仏教の教え。
- 1987年の社会福祉士及び介護福祉士法公布の前後、龍谷大学も制度整備の流れと連動しながら福祉教育を発展させた。
- 矯正・保護の分野でも「誰ひとり取り残さない」精神が生きており、高齢者と刑務所の問題など、今後の介護現場ともつながる課題がある。
「なんで自分はこの仕事をしているんだろう」と迷ったとき、こういう歴史を知っておくと、少しだけ足元が固まる気がします。



私たちの仕事には、ちゃんと意味がある。その意味を作ってくれた人たちが、60年以上前から存在していた。
それを知っているだけで、今日の夜勤も、ちょっとだけ前を向ける気がしませんか。
知って、トクしよう。
📎 出典:福祉新聞Web「【龍谷大・中】根底に摂取不捨の教え」
https://fukushishimbun.com









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